ほおばる日々

0歳育児中

10月13日 シナ田さん・モヤモヤ解明

シナぷしゅを平日ほぼ毎日見ているのだけど、シナ田さんというシリーズが私の中で大ヒット。週替りの歌のシリーズで今週やっていた。

どんなものかというと、シナ田さん(年齢不詳、たぶん女性)が日常の中でちょっとしたことでの躓きというか我に返る瞬間みたいなことが起こり(例えば服を後ろ前で着ていたり)、そこで突然、

♪ここで幕が開く〜 私が主役〜

という曲が始まり、その後ゆったりした曲調から一転、シナ田さんがノリノリでダンスを踊り(脳内劇場で)、一曲踊り終わるともとの現実世界にもどっている…みたいな構成。

なんか絶妙なのよ。この、歌が始まるきっかけになる事柄チョイスが。特に印象的だったのが、横断歩道の白黒のうち白だけ渡ろうとしたら踏み外し、実際に転落していく…みたいな回。

そして踊りがミュージカルっぽさもありながら軽快でノリノリで、アニメがよく動いて、絵のタッチも好き。歌うところで口がちゃんと動いてるのもいい。そして私は何を隠そう(?)、歌詞で自分を主役(主人公、ヒロインなど)と宣言する曲が大好き。

1週間毎日楽しみだったなあ。

 

 

少し前に友人たちとの会話の中で、ずっとひっかかってたことについて書いておく。

 

同性の友だちとの会話の中で、もし子どもができたら〇〇したいみたいな、子どもができる前提の仮定の話を出されることが多くて(例えば、子どもができたら家を買いたいとか)。

なんかそういうの口にできるのってすごいな…と思い。そしてこの、すごいの意味ってうまく言葉にできないさまざまな「すごい」という感情だな(一種の尊敬だけではない)と思っていて。

 

実際妊娠して出産するまで、子ができるかわからないのではないか…でも当たり前のように子どもができたらという想像をシェアされている…。みたいに少しモヤモヤとしていた。

そのモヤモヤの原因、一つはそういう期待ができること自体が羨ましいと思ってるからだと思う。羨ましいというか、自分には絶対できないことだった、できないことだから、嫉妬?みたいか。

自分は高度ではないけど治療と呼ばれるものの末に子が産まれたので、子が誕生するまで自分が子どもを持てると確信できなかった。自分に子どもができたらという具体的な楽しい想像をするのを恐れていたというか、したとしても誰にも口にはできなかった。いろんな理由で。期待しないようにしようと、想像しそうになったら思考をシャットアウトするみたいなことをやってた時期もあったと思う。特に治療中や妊娠初期なんかは。だって期待したことが一つも叶わないかもしれないしがっかりしたくないから。

もうひとつのすごいという気持ちの正体は、例えば私が不妊治療中だったりとか、子どもはいらない(持つつもりはない)と言うことを明言していたらこういった話題を出したか?ということ。

しないよね。たぶん。でもしたということは、私を含めてその場にいた友人たちがみんなその道を通ると勝手に仮定されているんだと思う。なんだかあまりにも、誰もが適齢期になったら結婚して子どもを生むに違いない、あなたも私も…という考えに溢れすぎていて、それがなんか恐ろしいというか、気持ち悪い?というか。それを口に出されるとゲッてなってしまうんだよね…。今はもう自分にも子どもがいるから、そう言うことも憚られるが。

これはかれこれ十年くらい私が抱えてきたもので、それこそ10年ほど前にそれを印象づける経験があったのだけど(その時はもっと若くてなんなら幼いくらい考えなしのことを言われた。私たち30までに結婚して子どもができたら一緒に遊ばせようねみたいなことを、別の友人から。そしてその予定がめっきりなかった当時の私はそれが悍ましかったというか、なんだか屈辱的ですらあった)、自分の年齢が上がってもまたそれと似たことを別の人にやられて、えっ自分の周りのこの感覚って変わってないもんなのか?って絶望したというか、、、なんか今ってそういう時代じゃなくない…?っていうのと、それが実現できなかったらどうするつもりでしょうか…?という心配じゃないけど不安視する気持ちもあって。

 

言葉にしたらなんとなく形になってすっきりした。

しかし友人に対してそれを口にすることってできない。できてない。口にできることが良いこととも思えない。

ここに書くのは気持ちの整理。

 


にしても、自分が子どもを持つにあたって、どういう意識で検査とか治療に行こうと思って行動したのかあんまり思い出せないのよね。随分前から恒常的に婦人科には行っていたので、病院に通うことに対しては抵抗もなかったんだけど。というか思い立ったが吉日タイプというか、思い立ったら行動しないと死ぬ(は言いすぎだけど即具体的な解決ラインにのせないと気がすまない)という性格だからここまでトントン拍子のように見える進み方をしたのかも。

それってつまり、子どものことを考えだしたらまずは病院を探し検査の予約をする。家がほしいと思ったら住展に行くなり土地や家の見学に申し込んだりする。みたいなアクション。

周りから見たらライフプランにおける実績解除の人間みたいに思われてるかもな〜特にここ数年、とおもいつつ、すべて熟慮熟考の上、そして短くない協議と合意形成の上で人生進めてます……よ…そのつもりですよ?というかんじだ。

でも確かに影響を受けた人はいて、まじで実績解除に走れるタイプの人間が一人まわりにいて。私は反面教師というか、そうはなれないしならないと思ってはいながらも、近くにいたから少なからず影響されて私も走らねばなのか…?みたいに、よくも悪くも走らせられたところもある。程よく影響を受けたと思いたい。